先ほどふれたように、カレーに用いられるスパイスが世界各国に広がっていったのは、イギリスがインドから自国に持ち帰ってきたことが要因です。
ではイギリスではどのようにカレーが浸透、紹介されていったのでしょう。
インド風カレーの作り方として、初めてレシピが紹介されたのは、1774年刊行の料理本『Art of Cookery Made Plain and Easy』の中でのことです。
材料は小さめのチキン二羽、大きめの玉ねぎ3個、水1クォート(1.57リットル)、バター2オンス、ターメリック1オンス(28.35グラム)、ジンジャー大さじ1、挽き胡椒 大さじ1、塩少々、二個のレモン汁、0.25パイント(142.5cc)のクリームとあります。
ここでは、いわゆるカレー粉が記されていません。
カレー粉の誕生は、1772年にイギリス・東インド会社に勤めていたウォーレン・ヘイスティングがインドからの帰途、インドの料理で使われる粉末の混合スパイスを持ち帰り、のちにクロス・アンド・ブラックウェル社(以下C&B社)がイギリス人の口に合うようにブレンドしなおし、カレー粉として商品化したと言われています。これは日本のカレールウメーカーによる説明や日本の食文化研究の中では、ちょっと調べればすぐに判るエピソードと言えます。しかし、本国イギリスでは記録が残っていないため、これ以上の詳細は不明です。
前述のように、調理の度に食材に合わせてスパイスを調合するインドには、現在の感覚でいうところのカレー粉というものは存在しません。おそらくヘイスティングが持ち帰ったスパイスは厳密に言えばカレー粉ではなく、料理の香り付けとして使うガラム・マサラなどの複合香辛料だと考えられています。
ガムラ・マサラは、一定のスパイス調合のためのレシピなどはなく、ナツメグ、カルダモン、クローブ、シナモン、クミン、コリアンダー、ペッパー、ガーリックなどを各家庭の好みで配合して作ったものです。料理を作る際には、ガムラ・マサラ以外にも複数のスパイスが使われます。
ヘイスティングがイギリスにこのような複合香辛料を持ち帰ったあと、何年にC&B社からカレー粉が商品化されたのかは定かではありません。
1861年にイギリスで出版された『ビートン夫人の家政読本』にはマトンカレーなど、いくつかのカレー料理とともにカレー粉のレシピまで紹介されています。この中ではさらに、「経済的観点」から、カレー粉を購入して作ることが勧められています。このことから、1861年には手軽なカレー粉が商品化されて手に入れられたことが判ります。
またこの中で紹介されているカレーには、ごはんと一緒に供することが記されています。パンではなく、ごはんを添えるのは、ヘイスティングが複合スパイスとともに米も一緒にイギリスに持ち帰ったことが関係していると考えられます。
ヘイスティングがインドを往来していた頃、イギリスはインドの西、ベンガル地方を支配下に置いており、ここを手始めにインド全域を統治していきました。つまり、多様な民族や文化が入り交じるインドから、最初に取り入れたインド料理が、ベンガル地方のものであったと推測されます。ベンガル地方では北部などでよく食べられている小麦粉で作られた「チャパティ」などではなく米を主食にしています。ヘイスティングはベンガル地方からスパイスと米を持ち帰り、やがてこれらがセットとなってイギリスに広められていったのでしょう。
1892年にアーサー・コナン・ドイルが発表したシャーロック・ホームズシリーズの短編小説のひとつ「銀星号事件」の中では、夕食のメニューに「マトンのカレー料理」というものが登場しています。この頃には、イギリス家庭の中にカレーが浸透していたことが伺えます。ただ、煮込んだ料理というよりは、カレーのソースに具材をからめるようなさらりとしたものであったようです。
C&B社のカレー粉は、明治のはじめ、1870年ころには日本にもやってきたと言われています。このカレー粉とともに、日本ではイギリス風のカレー料理のレシピが紹介されていくようになります。