1872年(明治5年)、『西洋料理指南』(敬学堂主人著)にてカレーのレシピが登場しています。
「葱一茎、生姜半箇、蒜少許ヲ細末ニシテ牛酪(ぎゅうらく)大一匙 ヲ以テ煎リ水一合五タヲ加へ鶏、海老、鯛、蠣、赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮て後「カレー」ノ粉一匙ヲ入煮ル 西洋一字間已ニ熟シタルトキ塩ニ加へ又小粉(うどんこ)大匙二ッ水ニテ解キテ入ルベシ」
ネギ、ショウガ、ニンニクを細かく切ったものをバターで炒めたあと、水を加えて、エビ、タイ、カキ、アカガエルなどを入れてよく煮る。そのあとカレー粉をひとさじ入れ、さらに1時間煮て、塩で味を整え、小麦粉を大さじ2の水で溶いて入れる、となっています。
エビ、タイ、カキと豪華な食材が並ぶ「シーフードカレー」のようですが、最後にアカガエルも一緒に並べられています。インドやイギリス本土では、カエルを使ったレシピは見受けられないので、このレシピの基となったのが何であるかは判っていません。
考えられるのは当時、イギリス領となっていた香港を経由して来日したイギリス人が、中国人のコックを雇っていて、彼らにとっておなじみの「カエル」という食材を用いたのかもしれないということです。
ほかにカエルを食べる食習慣を持つ国としてはフランスがあります。小麦粉をバターで炒めるという技法はフランスにもありますので、もしかすると、おおもとはフランスのカレーレシピが影響を与えたものとも考えられます。
また、『西洋料理指南』と同じ年に発刊された『西洋料理通』(仮名垣魯文著)にも、カレーがカリードヴィル・オル・ファウルという料理名で紹介されています。
「冷残の講師の肉、あるいは取りの冷残肉いずれも両種の中あり合物にてよろし 葱四本刻み 林檎四個皮を剥き去り 刻みて食匙にカリーの粉一杯シトルトスプウン匙に小麦の粉一杯、水或いは第三等の白汁いずれにても其中へ投下煮る事四時間半 その後に柚子の露を投混ぜて炊きたる米を皿の四辺にぐるりと丸く輪になる様もるべし
綿羊の冷残肉(にあまりにく)、葱二本、ボートル四半斤、シトルトスフウン匙カリー粉一盛、同匙に麦の粉一ト盛り。塩加減、水及び汁露物等を論せず一合程。
右製法。葱を薄く斬り、ボートルと共に鍋の中に投下し、鼠色になるを度とす。而カリーの粉並に小の粉塩と共に攪轉(かきまぜ)し、能々(よくよく)交混その後薄切の葱とボートルの鼠色になりし物を、カリーの粉及び小の粉塩の中に投下て、肉を薄切にし或は刻み鍋の中に投下、前の品々と混合 、十ミニュート(分) の間程緩(ゆる)火を以て而水或は汁を煮る投れ再び緩火を以て煮るる半時ばかり。その後皿に盛り皿を環らし、飯をぐるりと盛り食に備ふ」(『カレーライスと日本人』森枝卓士著 講談社より一部抜粋)
「ボートル」は現在のバターのこと。ネギ、肉、リンゴ、カレー粉、小麦粉、塩を入れた水またはスープで煮込み、最後に柚子を絞り入れて出来上がり。羊の肉を使った方は、薄く切ったネギをバターと一緒にネズミ色(!)になるまで炒め、カレー粉と小麦粉を加えて、薄切りまたは刻んだ肉を鍋に入れ、炒めたネギと合わせて水またはスープで煮る、とあります。
なぜ「冷えた肉」を用いるのかは、イギリスの食習慣にあります。イギリスではかつて、日曜日に大きなローストチキンを焼くのが決まりでした。翌日はその残りをコールドミートとして食し、また後日、カレーなどに入れていたようです。上のレシピは、「余った肉」があるのが当たり前のイギリスならではのものなのです。
ところで、2つのレシピを見るとどちらにもカレー粉と、とろみをつけるための小麦粉が材料に記されています。これらはインドから伝わってきたものではなく、イギリス風、ヨーロッパ風のレシピであるようです。
ちなみに、『西洋料理通』には著者の仮名垣魯文とともに、「河鍋暁斉画」とあります。河鍋暁斉は幕末から明治中期に活躍し、浮世絵をはじめ数々の作品を描いた画家です。そういった人物が、全くジャンルが違うように思われる、日本に入ってきたばかりの西洋料理本に挿画しているのが大変興味深いですが、詳しい資料がないのでこれ以上のことは不明です。
しかし当時。これらの西洋からやってきた料理のレシピが最先端の情報であったことは間違いないでしょう。ただ、あくまで一部の上流階級の人々へ向けた情報であり、庶民の味として親しまれるまでは、まだまだ先のこととなります。