都市部はともかく、地方においてカレーライスが広まっていくのは大正時代に入ってからのこと。日本海軍でカレーライスが軍用食として採用されたことが、一般庶民にまで広がった要因のひとつであることは間違いありません。海軍に入り、そこでカレーライスを口にした人々が実家のある地方へ戻り、広めていったことが考えられます。
一般庶民にまでカレーライスが広まっていったことの要因として、国産カレー粉の登場があります。当時、日本で手に入るカレー粉といえば輸入品のみで、イギリスのヘイスティングがインドから持ち帰った混合スパイスを参考に製品化されたC&B社のものでした。そのころのカレー粉の価格がどれほどであったかは判りませんが、前述の明治10年ごろ西洋料理店で出されていたカレーが、もりそばの8〜10倍ほどの価格であったことを考えると、かなり高価な品であり、なかなか普及はしていなかったと思われます。
街の料理店のメニューにカレーライスが定着しつつあった1903年(明治36年)に、大阪の薬種問屋「今村弥」が初の国産カレー粉が販売しはじめています。イギリスがインドからスパイスを輸入されたのは、料理の味付けとしてより「薬」として注目されていたからですが、東洋医学でも漢方薬としてスパイスが使われていたため、薬種問屋にカレー粉の材料が揃っていたのではと想像できます。
1906年(明治39年)には、東京・神田の「一貫堂」がお湯で溶くだけでカレーを作れる「カレーライスのタネ」を発売しています。肉も入っていたことから、現在のカレーのレトルト食品に近い印象のようです。ごはんにかけても、当時流行していた蒸しパンにつけて食べてもよし、旅行への携帯や、突然の来客時にも便利、と宣伝していたようです。
1914年(大正3年)、東京・日本橋の岡本商店でも「肉や野菜を煮てこれをお湯で溶いて煮る」という、「ロンドン即席カレー」を発売しています。こちらは粉末状の缶入りで、現在のカレールウの先駆けといったもの。15人分30銭と、街の食堂のライスカレーの値段が5〜7銭だったことからすると、安くはありませんが、比較的手を伸ばしやすい価格であったと言えます。この「ロンドン即席カレー」は婦人雑誌誌面の通信販売でも取り上げられています。
一般の家庭でカレーライスが作られるようになるのは大正に入ってから、10年前後には普及していたようです。
現在、さまざまなカレー製品を世に生み出しているハウス食品の前身、「浦上商店」が1926年(大正15年)にカレー粉「ホームカレー」の製造・販売をスタートさせました。この「ホーム」というネーミングからも、かつての「得体のしれない食べもの」から「身近な食べもの」として受け入れられたことがうかがえます。
昭和に入ってから、カレー粉を製造・販売する会社が増えていきますが、国産カレー粉の普及に大きな影響を与えた事件が、1931年(昭和6年)に起きています。このころ、料理店などでは本場イギリスのC&B社のカレーパウダーが最高級品で、家庭向けに普及していた国産品はあまり使用されていませんでした。そんな中、とC&B社のカレー粉の缶に国産品を詰めて販売していた偽造事件が発覚、「中身が国産品に詰め替えられいても、味の違いに気がつかなかった」ことから、この事件を境に国産のカレー粉の評価が上がっていきました。
昭和に入って、東京・新宿の「中村屋」のメニューに純印度式カリーが登場したり、銀座の「資生堂パーラー」の高級カレー、大阪・阪急百貨店の食堂のライスカレーが人気を博したり、カレーの缶詰が発売されたりと、カレー食は各地で広まっていきました。しかし1941年から終戦の年まで、食糧統制のため、各メーカーともカレーの製造・販売は中止されます。ただし、軍用食のためのカレー粉だけは製造していましたとのことです。
もっと簡単に、おいしくカレーライスを作ることを可能にしたのが、カレールウの誕生です。日本初となる固形のカレールウは戦後、1950年(昭和25年)に販売がスタートしています。昭和30年代には各社が固形カレールウを製造・販売し、テレビの普及とともにコマーシャルが溢れ始め、製品の知名度がアップしていきます。1969年(昭和44年)に初めてレトルトカレーが世に出されました。現在に至っては、日本製のカレールウが世界各国へ輸出され、またレトルトカレーが宇宙食に採用されたりと、めざましい発展をしてきています。